威徳寺について
威徳寺の宗旨
- 宗祖
- 親鸞聖人
- 宗派名
- 真宗仏光寺派
- ご本山
- 本山仏光寺(京都市下京区新開町397)
- ご本尊
- 阿弥陀如来
- お経
- 浄土三部経(『仏説大無量寿経』 『仏説観無量寿経』 『仏説阿弥陀経』)
威徳寺史
- 1172年(承安2年)
- 首城山 威徳寺 創建。
真言宗、高野山、清浄心院、の末寺として創建されたと伝えられています。
開基は招恵上人。
所在は確定されませんが、頸城地方であったと思われます。
山号の「首城(しゅじょう)」は蝦夷討伐の本部という意味で、「頸城」の元の字と言われています。
後に、「中頸城郡美守荘(ひだのもりのしょう)尾沢村 僧誓賢」との記録があります。 - 1662年(寛文2年)
- 浄華院釈慶西の代に浄土真宗大谷派に転宗。
またこの頃、現在の黒鳥村に移住したようです。
- 1685年(貞享2年)
- この頃、大谷派の複数の寺院と共に仏光寺派に転派。
- 1775年(宝暦5年)
- 釈知杖 大磬(ダイキン)建立。以来現在まで、本堂の勤行に鳴り続けています。
- 1816年(文化13年)
- 本堂、鐘楼堂、庫裡、近火類焼。
翌年、鐘楼堂再建。 - 1823年(文政6年)
9月13日 - 本堂再建上棟式 当寺建立記念日とする。
威徳寺中興の上人、歓喜院哲玄法師について
哲玄法師は34歳のとき、近火類焼によって、本堂鐘楼堂庫裡と全てを失うという、難事に遭われました。
そして、7年後に、見事に、現在の本堂を再建されました。(土台上げ、屋根替えの工事あり)
火災に遭われたことを、深く頂かれ、浄土三部経を書写し、経題は、血書されました。
また、写経の謂れを記して「当流相伝ノ安心」を表白され、末代への道標を残されました。
また哲玄法師は、「二日のご坊様」と言い伝えられ、親しまれています。
日本最古の仏像である一光三尊様をご本尊様とし、聖徳太子様、親鸞聖人ゆかりの、
長野善光寺様に、毎月2日にお参りされて、仏恩報謝の懇念を運ばれたと、伝えられています。 - 1847年(弘化4年)
3月24日 - 長野善光寺大地震 死者2400人 焼失家屋2500軒
翌年、哲玄法師は、近在のご寺院、門信徒方と共に、石灯籠を建立寄進されました。
碑銘に
経言 天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起 国豊民安 兵戈無用
と記して、国土の安全を祈願されています。
この石灯籠は、現在も、善光寺様裏手に建っています。 - 1854年(嘉永7年)
- 歓喜院哲玄法師ご入寂 72歳。
- 1989年(平成元年)
- 本堂屋根替え落慶法要
- 1991年(平成3年)
- 恭敬院釈遠城法師の威徳寺にお浄土の音楽を響かせたいとのご遺志を継いで
威徳寺雅楽部が発足。 - 1993年(平成5年)
- 親鸞聖人700回大遠忌法要を勤修。境内に雅楽舞台を設置して、管弦、舞楽を奉納。
- 1998年(平成10年)
- 威徳寺雅楽部、新潟楽所と改名。
- 2014年(平成26年)
- 新潟楽所「第1回春季公演柳都の春」公演。りゅーとぴあ能楽堂にて。
- 2015年(平成27年)
- 威徳寺御廟(墓所)建立、並びに永代供養墓(共同墓)建立。
- 現在に至る